2016年6月13日

50.波動にこだわる

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)


この物質界すべてが波動であること。

これは、量子物理学、数学、さまざまな分野で解明されつつあり、それを無視してこの現実を語ることは出来なくなってきました。

そこにはしっかりとした法則があり、その中で私達は冒険や探求によって、数々の分野に法則性を見出してきました。

素粒子やテレポーションの実験その他によって、距離や時間の概念が大きく崩れ、今ではこの空間そのものが、ホログラム(宇宙の根源による意識の投影)であることの証明がなされつつあります、、、、、、、、、、、

これは47稿での書き出しですが、自分の内側と外側を探求する上でまず、この部分を土台に置くか否かで、結果が大きく変わってきます。

意図どおりの現実を作るためにです。

1、全ては派動。

2、距離、空間、時間は無いに等しい。

3、この世界は「触れることのできるホログラム」。

量子の世界では、そうなるようです。

だから何? 科学? で? それが分かったからと言って何が変わるの?

私はその段階が長く続きました。

シンクロニシティーの観察をするまではそうでした。

ところが次の段階として、観察という「意図的」な行為が働くと、笑ってしまうほどのシンクロが連打でやって来ます。

私だけじゃないのは、少し気付いた人を観察していてわかります。

意図的に観察が進むと自分の意思や意図がそのまま具現化していることに気付きます。

「意図」するというのが、「考える」ことではないことにも気付き始めます。

この状態は考えて意図するのではなく、初めからその状況が欲しいという「欲求」として先に感じています。

次にこの「欲求」がネガティブなのかポジティブなのかが大きな壁になります。

もしその欲求がネガティブを土台にしたものであれば、結果的に自分にとって好ましくない具現化しか起こらないことになります。

まずは、「恐れ」を土台にした「欲求」かどうかの見極めが必要になります。

ここがあやふやになりだしたら、11稿のネガティブとポジティブをもう一度読み返したりしています。

全てが波動であるとすれば、湧いてくる「欲求」も波動と捉えるのが自然です。

波動の性質はどこまでも伝播してゆきますから、言葉や行動がなくても自分の外、自分以外へ伝わってゆくのが自然であると考えます。

そのうえ、時間や空間が無いに等しいとなれば、瞬時にこの宇宙全体に自分の「欲求」が伝わっていることになります。

もう一つ、この世界が波動というエネルギーでありながら触れることの出来るホログラ厶であるとして、その波動の性質やホログラムの構造を理解する神のようなシナリオライターがいても、不思議はどこにもないことになります。

一見、この世界は理不尽なシナリオに見えたりもしますが、どうもそのシナリオライターは私たち自身のようです。

飛躍しすぎですか?

そう思う方でも、意図的に観察を続ければシンクロニシティーの共時性が偶然の連続ではないことに気付き、同時に物事が時系列で動いていないことにも気付き始めます。

スピリチュアルな世界に入らずとも日常の中で確認することが絶対的な根拠になります。

そして、絶対に変えられるはずのない過去と現在の変化が見えてきます。

ないはずのものがそこに現れるという違うタイムラインに移動したような現象が起こってくるからです。

常識では、とうとう頭がおかしくなってきましたねと言う現象です。( ´∀`)

その常識を刷り込まれた「左脳」では一軸上に時間は流れており、エネルギー不変の法則からは何もないところから新たに物質が作り出されたりすることは有り得ないことになっています。

ところがゼロ点エネルギー/ゼロポイントエネルギーのように、なにも無いところからエネルギーが出てくるという事実が、多くの研究者から論文等で出されており、抽出が不安定でいまだ制御技術が確立されていないという現状があります。

私は2年前に、日本語の論文をネットで読んだことがありますが、そういう内容でした。

今は、ネット上から消えてしまっています。

信じるか信じないかは、あなたしだいです。

「左脳」には納得できないことばかりですね。

一方、多次元や多元のエネルギーを受信しているとされる「右脳」では、ないはずのものが見えている、または感じている可能性があります。

3稿でご紹介した動画をもう一度添付しておきます。私は何度も見てしまいました。

(参考)脳科学者 ジルボルト・テーラ-
 https://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM
 https://www.youtube.com/watch?v=qd1hvCHnMX0
 ユーチューブより。



この動画を見ると脳や精神の障害で悩む人のことも理解できそうな気がします。

「右脳」だけではこの社会での課題をこなせない、「左脳」だけではおかしな社会を創ってしまう。

そうなると「脳」は前後左右、フル活用する必要があるみたいですね。

それには「左脳」のおしゃべりを少しとめてみなければ前には進めないようです。

想像を絶するほど歓喜する世界が、もしかしてすぐそこにあるかもしれないのに、試さない手はないと思います。

ましてやこの世界を自分が「創造」しているかもしれないなんて、考えるだけでワクワクしてきます。

ただし「左脳」だけの思考では「想像」の範囲を出ることはできないと考えます。

左脳は「想像」、右脳は「創造」なのかも。  いいキャッチコピーができました(^∀^)

とまあ、それはそれで広い世界のひとつの角度から見た考えですから、どちらがいい悪いの判断をしているのではありません。

どちらを取るか、ひとつの角度に置かれた自分の位置をどうずらすか、その位置でどういう世界を創造するかは自分しだいとういことになります。

私は、「左脳」「右脳」のバランスのいい世界を創りたい。

そうやって時間も空間もないとされるところにこの宇宙を表現した大いなるいちなるものの波動は自分を分離したのではなく、無限大の中の私という角度から自分を観察しているように思えます。

見えるものや触るもの、そして思考も感情も全てが「大いなるいちなる波動」と一体であるとすれば、私たちひとり一人には無限大の可能性があると考えてもおかしくはないのでは。

そう思うだけで、ただ自分という波動が存在することに感謝してしまう。

そんな脳天気は私だけでしょうか。