2016年6月21日

51.波動で創る自分のホログラム

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)


量子力学的観点から全てが波動であることは、理屈では納得できるのですが、感触的には物を突き抜けたりすることができないので、原子間をつなぐ電磁波やプラズマの網の構造がうらめしくなります。

この網を突き抜けるためには波動の周波数帯域を変えればいいそうですが、この次元内に限定してそれが出来る人を私はまだ見たことがありません。

ところがヘミシンクの世界では周波数帯域を変え、当たり前のように多次元に入って行きます。

これは大きなヒントでもあるのですが、世間の理解度はまだまだ低いのが現状です。

前稿の続きで言えば、それすらも自分で設定しているわけですから、自分に文句を言っても仕方がないというところです。

この宇宙の大いなるいちなるエネルギーが無限大の角度から自分を観察するなかで、そのたったひとつの角度がこの私という個性。

この波動と波形は宇宙でただひとつ。

ちょっと小さくも感じますが、この角度からは私しか創造出来ない世界があるわけで、考えようによっては痛快でもあります。

なんでも楽しい方へ考えると、起こるシンクロニシティーもそれにシンクロします。

ポジティブな私はそうですが、時々出てくるネガティブの私はほかの角度の存在が羨ましく思えたり、じれったく思えたりします。

その時の私は、今までの思考パターンに戻っています。

完全に他人と自分を「分離」している状態です。

当然、シンクロによって若干ネガティブに傾いた具現化が起こり始めます。

話はそれますが、このネガティブが引き起こすマイナスを補うために思考と行動によって頑張ったり我慢したりで、走り回っているのが私たちの世界です。

時間に追われながら、朝から晩までよく働きます。 少し前の私です。

「だって生きるためには仕方がない」の言葉が肝心な部分の思考をとめてしまいます。

ホログラムの世界が前提なのですから、ここで思考をとめてしまってはもったいない。

毎瞬の自分に気付いていることで、シンクロの方向を修正する必要があります。

この思考や感情という波動が「いつも今」というホログラムを変化させているのですから。

ホログラムとして考えると自分の体も含めて、どうやってこの世界を投影しているのでしょうか。

よく聞くたとえが鏡、自分の思いや考えを他人という鏡に投影しているという表現があります。

自分をいったん自分の外に出して対比してみると客観的に観察することができるので、的を得た表現だと感じます。

その鏡は、自分が他人として見ている人の数ほどあり、まるでマジックミラーのように自分の周りで違う角度の自分が輝いています。

その鏡は外へも内へも反射していて、その内側の中心に自分がいるとすれば、映っている他人とは全て自分だということになります。

その外はというと、集合体としての自分がまた内側の自分と同じく集合の集合として同じ構造が連続します。

無限性のある多面体や多元性、多次元性を視覚的に表現するには無理がありますが、私は今のところそのようにイメージしています。

この世界がホログラムであるにせよ、「よくもまあこんなに精妙でリアルな世界を創れるものだなあ。」と私の三次元脳/左脳は言いいます。

自分が創造したのではなく、いつものようにほとんどが他人の仕業に見えています。

実際には、大いなるいちなるものはこの膨大な宇宙をホログラムで創るぐらいですから、私の見える範囲ぐらいの創造は朝飯前なはずです。

そして、規模やリアルに関しては、信じられないほどのものですが、全能の神的存在である大いなるいちなるエネルギーなら創造に関しては「何でもあり」が自然ということになります。

なのに三次元脳が自分を占有してしまうと、そこに制限を加え、なおかつ真実を一つに絞ろうとします。

もしミラーボールの中心が自分であるという設定のホログラムであれば、この世界の中心は自分であることになりますから、真実も自分で作っていることになります。

自分の集合も自分であり、これまでの流れで言うとミラーボールは無限に等しいほど存在することに成ります。

このことから、あらゆる角度に置かれたミラーボールという自分ひとつ一つに無限大の真実があることになってきます。

この真実を自分の中だけで創造するか、波動が同調している集合意識としての波動を取り入れるかで、創造の数はさらに拡大し、いずれにせよ真実は膨大な数を創造されることになります。

たんなる「想像」ではなく、実態としてのパラレル世界の「創造」です。

真実が先にあって今が在ると考えるのが世間の常識ですが、それは時間が一軸状に流れるこの空間もあってのことであり、時系列でしか物事が起こらないとすると、その理屈を覆すようなシンクロ二シティーやヘミシンクでの現象はありえないことになります。

また、時間も空間も無いという量子力学が唱える論理は意味の無いものになってしまいます。

でも、自分がしっかりと「意図」さえすれば、いくらでも不思議な現象を経験として自分の中に取り込むことができ、かなりの常識が逆さまであったことに気付きます。

そして、自分の真の意図や深層部の意識が一番早く具現化され、分かりやすく実感できるのがシンクロニシティーの存在です。

外側的真実の追究はもちろん大切なことですが、心のあり方がそのまま具現化してしまう法則があることを先に知る必要性を強く感じます。

分離や恐れをもったまま過去や未来を想像してしまう前にです。

AIのような合理性信奉が抜けきれないままの未来を創る可能性が出てきます。

その私たちが未来の地球を元の自然に戻したとしても、人は究極の技術に守られ死をも克服し、カプセルか何かの中から地球を眺めその美しさを官能するだけ。

そして宇宙へ飛び出し、今の地球のような星を見つけては神のフリをして助けたつもりになるのでしょうか。

草の上で寝起きし、食は少しの果物、川や海で遊び、動物たちと野山を駆け回り、身も心も地球や周りの全てと一体化し、カプセルの中の何千倍もの喜びが地上にあふれているなんていう世界はやってこないでしょう。

どちらが好みかは人それぞれですが、その好み、ネガティブが入っていませんか?自分に言っています

頭では分かっていても、内側の観察と分析をおろそかにしていると、ネガティブなシンクロに気付かないまま堂々巡りから抜け出せないことになります。

アセンションを口にする人の多くが何かを期待していることに不安を覚えます。ちびっとだけ(´∀`)

「期待」は完全にネガティブなシンクロを生みます。19.期待はネガティブ でとりあげています。

シンクロの観察がいかに大切かは、観察した者にしか分からないというのが、もどかしいところです。

ここまでのほとんどをただの仮説のようなものと捉えてしまうと、また思考がリバウンドしてしまいます。

もっと楽しい方がいいので、もうちょっと先へ進みます。

大いなるいちなるもののエネルギーの実態は法則性があるにせよ、こと創造となると何でもありととらえてもいいような感じになってきました。

こういう言い方になると、根拠は? となりますが、試しに、ユーチューブで量子力学に関連する動画だけでも網羅してみてください。

たぶんあなたの常識は無いも等しいものになってしまいます。

そして「期待」が「希望」に変わるかもしれません。

真の現実は、人によってはもうそこまで来ています。

意味不明ですか?



続きます。