2015年4月11日

41.シンクロを左脳に説明する

(日めくりブログではないので、途中から読むと繋がらないと思います。21稿までが前置きになります。)


思考レベルでシンクロの構造を理解するには、あまりにも多くの要素が絡み合い、短絡的に結論を求めても、いつの間にか元の思考に戻ってしまうのは私だけではないと思います。

①二元性の理解 ②思考深層部の探求 ③恐れや分離の構造 ④今という時の理解 ⑤もう一人の自己の認識 ⑥感情の観察 ⑦シンクロの観察 ⑧感覚の記憶 ⑨そして知ろうという「意図」がそろわなければ、どれがかけても元のループに戻ってしまいます。

しかしこれはそう遠くはない日に、形而上学や宗教、哲学などと統合体系化され、シンクロの不思議は科学によって理解しやすいものになってゆくだろうと考えます。

では、それまで待たなければならないのでしょうか。

シンクロの観察が進むとその必要はないことが分かってきます。

学問として左脳で「理解する」ことと、「感じている」とではまったく違うからです。

それは自分がなにかを望んだ時に、意図通りになることが感覚的に分かるからです。

分かるというよりは、「今」という時を感じる中ですでにそうなっている感覚があるから、と言ったほうがいいでしょうか。

上記の①~⑨は、この「今」という時に全てが包含されたように、ただ自分の感覚だけがそれを証明しています。

本来はこの状態だけがあればいいわけで、理屈は必要ないはずなんです。

ところが、「左脳」が働きだすと理屈が必要になってきます。

ご存知でしょうか、今の科学や哲学をもってしても観念的な自分という存在を、論理によって他人に証明することが出来ないということを。

これと同じで、私には「左脳」を完全に納得させるまではいかず、忘れた頃にリバウンドがやってきます。

でも、ここで怯んでいてはポジティブなシンクロの連鎖が途切れてしまいます。

私は37稿の、「らく」を選ばず「楽しい」と「愛」を選んだわけですから、諦めるわけにはいきません。

そして「今」を感じ、「感情野」を「中庸・中立」に保つことで、「恐れ」が薄れていくことを感覚として掴むことができました。

この感覚は、他人に伝えることができなくても、自分の「左脳」の記憶には残ります。

これを繰り返すことで、シンクロの経緯と結果を「左脳」が経験的に「記憶」として蓄積してゆきます。

こうすればこうなるをパターン化し、その確率が限りなく100%に近づいていく時、「左脳」は「確かである」の答えを出してきます。

これは臨床統計によって出される結論と同じで、科学でもあります。

ただし、自分に起こるシンクロの証明は自分にしかできないのが面白いところです。

それでいいと思います。

それは、自分を取り巻く世界全てが自分であるかも知れないからです。

そしてもし、一つのシンクロをみんなで体験・共有する日が来ればどうでしょう。

そんな素晴らしいシンクロの世界が、もうすでに目の前にあるようにも思います。

「分離」と「恐れ」を刷り込まれた「左脳」を納得させるには言葉をいくら続けても終わりそうにありません。

それより「今を感じる」。

その感覚を記憶として「左脳」に何度も蓄積させることの方が、はるかに効果があります。

今は私の「左脳」もその結論に至ったような、そうでないような、、、

楽しみながら考えて「今」を感じる、感じてみてまた考える。

そして深呼吸。

ついでに「気」を体全体にすい込む。\(^o^)/

気持ちいいですね。

「今」を感じる。(^v^)